不携帯音楽
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 ウチの通販商品は、他社のオークションとかフリマには一切出品していない。自店サイトだけで販売している。

 ご注文カートシステムはない。クリック一つで注文なんてできない。ご希望商品をそのまま文字で記載して頂かなければならない。
 在庫の検索窓なんてない。歌手の頭文字でインデックスを辿って、ようやく商品リストにたどり着く。
 クレジットカードは使えない。その他各種ネット系支払いシステムは何一つ対応していない。 コンビニ受け取りも出来ない。商品をご自宅にお届けしてその場で現金を頂く、極めて素朴で原始的で当たり前の販売方法しかできない。
 つまり、すげえ不便に出来ている。ネット販売の利便性とやらを、ほとんど活用できていないのである。

 ショップモールやらクレジット決済やらHP制作やら各種“便利なシステム”会社から「お手伝いしまっせぇ」「おまかせくだせぇ」と、結構な頻度で案内や勧誘を頂くけれど、すべてご辞退させていただいている。
 もちろん、どこかに出店したりプログラム組んだりが面倒臭いという言い訳も、ないとは言わない。たぶん、そ〜したほうのがお客さんは楽だし集客率も上るし、ショ〜バイも儲かるのだろうという予感もある。

 でもね――。

 いろんな手間を省いて時間短縮して効率的にすることが、つまり“便利”てことでしょう。

 ウチが主として扱っているのは、アナログレコードである。
 レコード盤という奴は、そもそもデカくてかさばり、買取に手放す多くの理由は“邪魔だから”だ。
 持ち歩いて外で聴くことが出来ない。プレーヤーのある部屋でしか再生できない。 僅かな埃を嫌うし小さな傷でも雑音になるし、保管が拙いと盤が反るしカビが生えるし、扱いに気を使う。
 プレーヤーに乗せなきゃならんし、アームを運ばにゃならんし、曲の頭だしは大概失敗するし、半分聴いたら裏返さにゃならん。
 しかも、再生中に脇でダンスを踊れば針が跳ねまくるため、ジッと定位置で動かず、ひたすら“集聴”を要求される。
 ボタンひとつで要らん曲飛ばして一発頭出しして聴きながら大暴れなんて、レコードでは不可能である。

 つまり、ウチの扱い商品はどえらい“不便”なシロモノなのである。

 ウチの販売方法を「不便極まる」と不満に感じる効率至上主義の方々には、アナログレコードによる音楽鑑賞は、そもそも向かない。
 もしも、「面倒臭えなぁ」と愚痴りながらウチにご注文頂く諸兄は、おそらくレコード観賞のためではなく、他の活用方法があるのだろう。
 だってレコード聴くのは、すげえ面倒臭いでしょう。

 できることなら、“音楽を聴いて”いただきたいのである。
 ご自宅でゆっくり時間をかけて、優雅にレコードの針を落す余裕がある、そんなお客様に届けたいのです。

 ♪のんびり行こうよ 俺たちは
 あせってみたって 同じこと

   

宙船
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 女帝の楽曲は、いちいち含蓄に溢れている。

 “お前が消えて喜ぶ者に
 お前のオールを任せるな”

 激しく同意する。
 しかし――。
 航海中の船舶は、周囲を海原に囲まれ逃げ道はない、言わば密室である。
 出航から帰港まで、原則として同船者の面子が変わらないことは当然知っている筈であり、 その人選は極めて重要案件である。

 オールを任せない以前に
 お前が消えて喜ぶ者を、同じ船に乗せてはいけない。

 

ジョニーへの伝言
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 つまりは、ジョニーは待ち合わせの約束をドタキャンしたのである。

 後に友人への伝言を残している点から、何かしら突発的な事故や不測の事態で来られなかったという想定は排除されている。
 彼は故意に来なかったのだと女性は了解しているわけであり、それは恐らく事実なのだろう。

 不誠実な野郎である。

 不誠実なジョニー側に感情移入してみよう。

 理由はともかく、ドタキャンして逃げた女性からの伝言を友人から聞かされる場面。
 2時間待ってたとか、元気だったとか、知らん街でまた踊子に戻るとか――。
「そんなん知らんがや。聞きたないわ、うっせーなぁ」
 そう口走って、鬼畜男は友人と大喧嘩になるに違いないのである。

   

ギブソン整理
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 ギブソン社が傾いたというニュースに大いに心を痛めている。

 多角経営の失敗という遠因はあるにせよ、直接要因は主力商品であるギターの販売不振には違いない。
 我々昭和世代ギター小僧にとっては“ギブソン”“フェンダー”は不動のツートップだったし、今でもそうである。

 だから、往年の“ギブソン・ビンテージ”は今でも高い。それはもう目の玉が飛び出して顎の下までぶら下がるくらい、高額である。
 おそらく今後も大きな値崩れはないだろう。製造会社の動向など、まるで関係ないのである。
 どれだけ高額で売買されようと“ギブソン社”には1円たりとも還元されない。時価数百万円の商品を作った会社が、 金欠で潰れるのが、中古骨董リサイクル業界の闇である。
 ウチも、その末席にいたりする。

 中古希少レコードがいくら高額で売れようと、歌手や発売レコード会社には1銭も払っていない。
 新曲がまったく売れずに落ちぶれていった歌手の、過去の作品が中古市場でべらぼうな高額取引されていることは少なくない。
 もしかしたら、歌手ご本人は悔しくて地団駄踏んでいらっしゃるかもしれないが、床板抜けてもそれが現実なのだ。
 我々も、人情としてそれなりに同情はするけれど、歌手ご本人から印税を請求されたら社会法規に沿って、お断りさせていただく。

 

ブルー・スカイ・ブルー
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 “指に絡んでいたゴールドの指環”とは、もちろん結婚指環であろうという前提で話を進める。

 つまりこの男、既婚女性に横恋慕して不貞から略奪を強要しているわけである。
 なんちゅう奴だ。
 当然の如く、良識ある大人からぶん殴られているのに、それでも尚もう逢えない悲しみをラララとハミングまでして、 哀愁炸裂させているのだ。
 まるで後悔や反省が見られないあたり、どこか精神的に病んでいるのではないだろうか。

 この手の男にロックオンされた既婚者女性は、極めて危険である。

   

愛を止めないで
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 歌の対象者である“君”の立場として、相手に多少でも愛情があるならいいけれど、万一“好みじゃない”場合に問題が多い。

 “君の人生が二つに分かれている
 その一つがまっすぐに僕の方へ”

 選択肢を二つしか提示していない。
 繰り返すが、“君”の立場でお考え頂きたい。
 つまり、彼の言い分としては「僕の所に来なければ君の愛は停止してしまう」と断言しているのだ。
 そうか?
 随分傲慢な提案に思えるが、如何だろうか。

 彼の心情を深読みしてみると、
 “君は“別れ”を恐れるあまりに愛を放棄しようとしているみたいだが、それは違うよ。 僕の所へ来れば大丈夫だから。ほら、こっちにおいで。他に道はないよぉ〜〜”

 再度繰り返すが、君は彼が“好みじゃない”としたら――。
 なだらかな坂道の下から、突如男が脱兎の如く駆け上ってきていきなり抱きしめられたら、 もはや嫌悪を通り越して恐怖に泣き崩れるかもしれない。
 明らかなパワハラかドメスティック・バイオレンスが成立する案件である。

 せめて“君の人生”は3つ以上に分れていると提示しておくのが、誠実ではないだろうか。

 

本物の音
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 「僕はね、本国オリジナルのマトリクス1のアナログを聴いているんだよ。 しかも、家にはハイグレードでハイスペックの再生装置組んでるしね。全部で新車一台分ぐらい掛けたかな。 だから断言してあげよう。このCDの音は駄目だ。低音の深みがないし高音がまったく抜けてない、 なんだかモコモコしちゃって布団の中で聴いてるみたいだろ。それにほら、始まって2分13秒の間奏のここんとこ、いい、よく聴いて、 オリジナルではここで小さくシンバルが入るんだけど、これ全然聴こえないでしょ。
 これはまったく別物だね。言わばクズだね。オリジナルの本質をまるで再現できてない贋物ってこと。 こんなの聴いて感動したなんて感性疑っちゃうね。本物の音を知らないリスナーは可愛そうだと思うよ。マジで」  

 「本物の音を知ってると、何がいいんですか?」

 「どんな物でも本物を知ってれば、心が豊になるでしょう。人間に深みが出るってもんさ」

 「つまり貴方は、本物を知っている人、てことでいいですか?」

 「それなりに時間と金は使ってるからねぇ、フフフ」

 「それなのに、貴方の心が豊だとも深みがあるとはまったく思えないのが不思議です。
 貴方みたいな人間になってしまうなら、本物を知らない方が幸せな気が、とてもします」

 

大きな玉ねぎの下で
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 音楽の、他人の感想やレビューはあてにならない。

 とても多くの考察が可能な、大層楽しめる楽曲である
 ここで描かれる状況を整理しておこう。
 東京の男が、文通相手である女性を武道館ライブに誘った。女性の居住地は“遠すぎる”という表現から 関東近郊では有り得ず、楽曲発売1989年は国鉄民営化以降にあたり中部信越も微妙で、もしかしたら関西以西か東北の可能性もある。
 男は、相手のチケット代は負担しているが、交通費まで算入していたかどうかは不明であるため、女性の足代資金不足は理由として看過できない点である。
 両者は写真等で相互認識はあったが、当日が初対面の予定となっている。しかし結局相手の女性は“ホウレンソウ”一切放棄して約束を反故にし、 つまりパーフェクト・ドタキャンに至る。
 事前に辞退する機会は、いくらでもあったことを忘れてはならない。

 男は、現場から女に連絡を入れた形跡はないが、携帯電話もなかった時代であり、女が来ることを盲信していた男が既に外出後であろう自宅に電話を 入れても無意味だと考える点に合理性はある。
 又、もしも男が女性宅に入電していたら、自宅に居たとしてもドタキャンする性格から居留守使うのは確実であり、結果連絡は付かなかっただろう。
 もしかしたら女性側に事故や不測の事態に遭遇していたかもしれず、ならば悪意あるドタキャンの悲劇は排除され曲の背景は大きく変質するが、 同様に女側からも男に連絡する手段はなかったのであり、女の真実は聴衆に委ねられていた。

 ところが現代の若人には携帯不在など絶対に理解できないため、この歌は時を経てひたすらドタキャン女の身勝手な行為のみに集約されてしまった。

 女に送付したチケットは当然前売り券であり、当日までには相当期間があるため、女はコンサート内容を認識していた筈である。
 その間の文通で、当該コンサート歌手についての会話はあるわけで、もちろん片側あるいは両者がファンであるのは間違いなく、 当時は熱烈ファンとして他者に対しても羨望や共感など好意的感想やレビューを披歴させていたのは確実である。
 この感想が、これから一瞬で瓦解変貌する。

 男は、来ない女を待ちわびて開演直前までロビーを徘徊し、あるべき期待や高揚感などは不安感の重圧に押し潰されていたし、 開演後に際しても座席と玄関口を何度も往復していたため演奏内容はほぼ記憶に残らず、終演に至ってはアンコールを断念までして会場を飛び出してしまったのだ。
 きっとこの男、今後この歌手の曲を聴くと条件反射で当日の場面や心境を連想して苦悩するのは心理学的に証明されるだろう。
 単に、当日のライブを愉しめなかったばかりではなく、頑強なトラウマを植えつけてしまったのである。

 もう、この歌手の曲を愉しむことなんて出来ない。賛辞の感想やレビューなど、有り得ない。
 耳にするだけで嫌悪と怒りが増幅し、虫唾が走るくらい嫌いになっても無理はないだろう。
 もちろん、歌手に罪はない。

 音楽の個人的感想なんて、結局こんな具合に確立されているのだから、あくまで“体験談”としてのみの価値しかなく“参考”になどなり得ないと思っている。
 同じ曲を聴いても、同じ感想など持てるわけがないのだ。

 それにしても、このクズ女の行為を現代の若い衆はどう看るのだろうか。
 ちょいと興味はあるが、昭和オヤジは知らないほうがいいような気もする。

、  

ダンディライオン〜遅咲きのたんぽぽ
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 “たんぽぽ”といえば、想像される画像が2種類存在する。
 黄色い花と白い綿毛のである。

 この歌がどちらを想定しているのか明確にしていないが、 “遅咲き”という副題と“風に乗り飛んできた はかない種のような”という表現から、後者の綿毛の方だと推察される。
 特に、歌の詞に使われる場合は綿毛の方が頻度は高いような気がするのは、吐息で軽やかに舞い散る “儚さ”に因るところが大きいだろう。

 しかし、庶民のイメージは黄色い方である。
 特に、家庭菜園などやってる方々は、断固として咲き始めの黄色い方である。

 黄色郡は、“儚さ”とは真逆の頑強でしぶとくしつこく姑息で策略家なのだ。
 家主の目を盗むように、すき間を見つけては芽を出し瞬時に葉を広げ、気がつけば花を広げてけつかる。
 しかも、眼に映える黄色がやたらに目立つ。
 引き抜こうとすればこれまた固く力入れると根元で千切れ地中に子孫を確実に温存しやがる。
 雑草の中では上位に君臨する厄介者なのである。

 そっち側前提で
 “これから歩けない もうあなたなしで”
 とか、暢気に歌われると
 「冗談じゃねぇ、あんたがいるとかえって歩き辛いわ。踏んづけてやる」
 ひとくさり、愚痴も言いたくなるのだ。  

 

たき火
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 この時期(11月)、店の向かいの公園ではどんぐりの巨木が木枯しに揺れて一斉にその葉を散らし、地面や滑り台の上に分厚い落葉の絨毯を敷き詰める。 

 条件反射のように無意識に口ずさんでいる。
 “たき火だ たき火だ 落葉たき”

 想像ではこの唱歌、教科書からはとっくに消えてるんじゃないだろうか。
 “垣根の曲がり角”ということは、立派な住宅街の交差点角地の民家の庭先である。
 しかも“北風ぴーぷー吹いている”のである。
 枯葉は極めて可燃性が高く即効着火延焼する上に、軽い。
 火を着けたまま風に煽られれば火花散らして簡単に上空に舞い上がり四散するのだ。

 速攻通報され、サイレン鳴らした消防車が集結し放水を頭から浴びて警察に叱られ現場のネット画像は拡散しこっちまで炎上し 近所から白い目で見られて石を投げられ居たたまれなくなり家を棄て放浪の旅に出なければならなくなるのは、ほぼ確実である。

 この唄を教えるのは、不道徳である以上に犯罪扇動行為として刑事2課の取調べを受けるハメになるのだ。
 わが国の過剰コンプライアンス的に、いずれ放送禁止楽曲に指定されるかもしれない。
 もう、なってたりして。

   

アイ・ラヴ・ユー・OK
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 YAZAWAファンならずとも、この曲を否定する人はそんなにいないだろう。
 YAZAWAファンならば周知の事実だろうが、この曲は発表当時非難轟々で酷評の嵐が吹き荒れた。

 '75年、キャロル解散からソロの第1弾として発表されたが、甘いバラードの曲調がキャロルの流れを期待したファンから 総スカンを食らったのである。
 同じ現象がビートルズにもあった。
 '69年実質的最終作“アビーロード”を、発売当時に買って落胆したファンは意外に多いのだ。
 一曲目のカム・トゥゲザーの前衛性やB面の展開を受け入れる柔軟性が、当時のファンになかったせいとも言われるが、事実購入後に 速攻売り払ったファンが、俺の知ってる限り3人居る。実は俺も落胆した1人である。
 もちろん、現在の世界的評価は間逆であり、俺も自分の感性を猛省して個人的に名盤だと思っている。

 そうゆう時代だったのである。
 どれだけ好きな歌手の作品だとしても、聴いて気に入らなければ堂々と酷評できる風潮が確かにあった。
 流行だからと、聴いてもいない新譜がチャートの1位に躍り出るなんて、まず有り得なかった。
 どっちがいいのかは知らない。ただ、その場は酷評されようと時代が評価を変える余裕が、音楽業界にはあったのだ。
 音楽使い捨ての現代、世に出た瞬間に認められなければ余程の奇蹟でもない限り、未来永劫再評価されることはないだろう。
 音楽を数回の試聴で判断しては、あまりに勿体無いんじゃないか。

 非難を覚悟で言わせていただくなら、YAZAWAのソロ転向が今の時代だったら、評価は随分違っていたような気がする。  “アイ・ラヴ・ユーOK”も駄作として切り捨てられたまま永久に埋れてしまうかもしれない。
 逆に、今埋れて消え去る新譜も、半世紀前に発表していたら時を経て今、名盤へ昇華したかもしれない。それは多分、膨大な作品が該当する筈だ。
 想像の域を出ないが、それほど見当外れではないと思う。

 

入荷連絡
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「入荷したら連絡して下さい」
 時々、気楽に依頼されることがある。
 ご期待に添えず誠に申し訳ないが、原則お断りしている。 

 中古商品は基本買取であり、計画仕入れという概念が存在しない。お客様からの買取依頼を待つだけである。
 ご指定の商品は、明日入るかもしれない。永久に入らないかもしれない。
 もし数年後に入った際に、お客様がまだ待っているとは限らない。当然他所でも探しているだろう。
 ほんのり悔しいけれど、そんなことは問題ではない。

 入荷連絡を約束するということは、その商品が入荷するまでずっと、依頼されたお客様情報を登録保管し続けなければならないということなのだ。

 昨今、個人情報保護が力コブ膨らませて叫ばれている。定期的に漏洩事件が社会問題になっている。
 当店でも一旦お預かりする個人情報は、これでもかちゅうくらい厳格に保護管理しているけれど、巷のクズどもの手口は見当も付かず、 事実、世界に名を馳せる大企業ですらポロポロ漏らしてるのだ。
 そして漏らした彼ら、林のようなマイクの前で雁首揃えて平身低頭お詫びを繰り返し、詫び続けたところで一旦漏れた情報はほとんど回収できないのが現実である。
 だから、ウチのような弱小微細粉末企業にしてみれば、万が一、億が一、兆が一漏れた場合、床に額こすり付けて血まみれるくらいお詫びする覚悟はあるけれど、 現実としてお客様の被害を回復することが出来ない。
 そして、本当に困るのは我々ではなく、お客様なのである。

 秘密を黙っていられないなら、内緒話など聞かなけりゃいい。
 盗られて困るようなものは、ハナから持たなけりゃいい。盗られるものがあるからいけないのだ。
 だから、時代に逆行していようとアホかと罵られようと、お客様情報の収集保護管理は止めた。
“一期一会”で結構。
 危険がゼロでない以上、お客様のために“入荷連絡”はお断りするしかないのである。
 だが、所詮は人間のすることなので。
 お馴染みのお客様情報は、各スタッフの頭の中に相当数保存管理していたりするのデス。

 

to be continued
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